京都岡崎コンシェルジュ Facebook

施設・スポットを探す104

絞り込み条件を設定

検索条件

【キーワード】 指定されていません
岡崎手帖掲載中(春号) 岡崎手帖掲載中(秋号) 岡崎手帖でおトク イチオシ 夜の岡崎 事前予約制
  • 施設等
  • スポット

「全国水平社創立の地」

「全国水平社創立の地」

 大正11(1922)年3月、京都市岡崎旧公会堂に差別からの解放を求める約3千人が全国から集まり、全国水平社創立大会が開催されました。大会では、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」とする日本初の人権宣言とも称される全国水平社創立宣言が確認されました。...

蹴上インクラインドラム工場

蹴上インクラインドラム工場

琵琶湖疏水、蹴上インクラインのドラム工場。 通常非公開。特別公開時のみ見学可。

岡崎・市電コンシェルジュ

岡崎・市電コンシェルジュ

京都岡崎は、多彩な文化・交流施設が集積する世界に冠たる文化・交流ゾーンであるとともに、京都の近代化を牽引し、明治28年(1895年)に開催された第4回内国勧業博覧会に合わせて、琵琶湖疏水による電力を用いた鉄道が敷設された市電ゆかりのエリアです。国内外からの来訪者が気軽に回遊し、エリアの魅力を享受できる環境づくりを実現するため、京都岡崎にゆかり...

白河院

白河院

池泉回遊式の本格的な山水庭園と数寄屋造りの別館を有す京都らしい閑雅な和風旅館。京都市指定名勝の庭園をお愉しみください。  

天授庵(南禅寺塔頭)

天授庵(南禅寺塔頭)

天授庵は南禅寺の開山第一世たる大名国師無関善門禅師をお祀りする南禅寺の開山塔である。創建は虎関師錬の努力により光厳天皇の勅許を得、且つ塔を霊光と名付け庵を天授と名付くとの御銘名を賜わって暦応三年に完成したものである。

妙伝寺

妙伝寺

京都市・東山二条にある日蓮宗の本山、妙傳寺。円教院日意上人によって1477 (文明9) 年に開創された京都八本山の一つ。

岡崎神社

岡崎神社

子授け、安産、厄除の神。桓武天皇が平安京鎮護のため四方に建立した社の一つ。別名「東天王(ひがしてんのう)」。ご祭神はスサノオノミコト、クシイナダヒメノミコト、ヤハシラノミコガミ。うさぎが氏神様のつかいとされ、境内には狛うさぎ、子授けうさぎ、招きうさぎ等がある。  

白河院址・法勝寺跡の碑と説明板

白河院址・法勝寺跡の碑と説明板

平安時代、岡崎の地は白河と呼ばれていました。この地に政治の中心を移した白河天皇は、法勝寺という大規模な寺院を建立しました。この建立の背景には国を仏教の力で治めるという鎮護国家思想があったと言われています。また、白河天皇は上皇となった後この地で国政を統べるようになりました(院政の開始)。このようにして、白河は国中の権力と財産が集まる政治の中心地へ...

円勝寺跡の碑

円勝寺跡の碑

法勝寺の西側、現在の京都市美術館のあたりが円勝寺のあった場所です。平安時代末期、白河天皇が法勝寺を建立した後、天皇や上皇、女院といった人々が御願寺を次々と建立していきました。これら全ての寺院には「勝」という字がついていたため総称して「六勝寺(りくしょうじ)」とよばれました。円勝寺は六勝寺の中で4番目に建立された寺院です。待賢門院という女院によっ...

成勝寺跡の碑

成勝寺跡の碑

成勝寺は、現在京都府立図書館やみやこめっせのあるあたりにあった寺院で、六勝寺の中で5番目に建立された寺院です。崇徳天皇によって1139年に造られました。崇徳天皇は鳥羽天皇と待賢門院の第一皇子として生まれました。父鳥羽天皇の死後、皇位継承をめぐり保元の乱が勃発した際には後白河天皇と対立し、白河北殿に陣を取って交戦しましたが敗北。崇徳上皇は讃岐(現...

延勝寺跡の碑と説明板

延勝寺跡の碑と説明板

六勝寺のうち、最後に建立されたのが延勝寺です。碑と説明板は琵琶湖疏水沿いにあり、延勝寺の敷地はこのあたりから東大路のさらに西まで及んでいました。鳥羽天皇の第九皇子である近衛天皇によって1149年につくられた寺院で、延勝寺の造営を担当したのが、清盛の父である平忠盛でした。京都市勧業館みやこめっせ敷地の北西角、二条橋のたもとにも延勝寺跡の碑が建てら...

尊勝寺跡説明板

尊勝寺跡説明板

尊勝寺は六勝寺の中で2番目に建立された寺院です。白河天皇の第二皇子である堀河天皇の御願寺であり、1102年に造られました。堀河天皇は天皇在位中に崩御したため院政をおこなうことはありませんでした。敷地は現在のロームシアター京都や京都市武道センターがすっぽり入る広大さで、南は二条通から北は今の丸太町通まで達しました。...

白河南殿跡の碑と説明板

白河南殿跡の碑と説明板

白河天皇は岡崎(当時は白河と呼ばれていた)に法勝寺を1077年に建立しました。そして、新たな政治の中心地となるべき御所、白河北殿・白河南殿を造りました(この白河南殿跡の碑と説明板が、今の夷川船溜のそばにあります)。白河上皇はこの御所で新しい政治「院政」を開始しました。院政の中心地となった岡崎や鳥羽には国中から人々や財が集まり、豪奢な建築物が次々...

旧白川プール跡(白川)

旧白川プール跡(白川)

琵琶湖疏水から白川が分岐する地点には、かつて、白川をせき止めて造られた児童プールが存在していました。このプールは多くの市民に愛され、遠方からも遊びに来ていた方々もいたそうです。また、地元の人によると、地域住民の手で簡易の更衣室や休憩所も設けられていたとか。プールは昭和40年後半から50年初頭頃まで続いていたもようです。現在では水をせき止めていた...

架線柱跡(京都市電蹴上線)

架線柱跡(京都市電蹴上線)

蹴上交差点から、仁王門通りに沿ったインクラインの敷地内に、コンクリート製の台座があります。これは、路面電車に電気を供給する電線の架線を支えた架線柱の跡です。ここを走っていた路面電車は京都市電蹴上線で、1945(昭和20)年に廃止されました。そして使われていたレールや架線柱などは、同梅津線(右京区)の敷設に転用するために撤去されました。そのためこ...

仁王門通

疏水に沿って岡崎地区を横断する仁王門通りにはかつて路面電車が走っていました。この路面電車は、第四回内国勧業博覧会に合わせて、京都駅から会場へのアクセス手段として開業しました。蹴上の発電所で作られた電気を用いて運転され、日本で初めて「電車」の営業運転をおこなった京都電鉄伏見線の延長として作られました。その後、1918年に運営主体が京都市交通局に変...

並河靖之七宝記念館

並河靖之七宝記念館

明治期から昭和初期にかけて活躍した、日本を代表する七宝家であり帝室技芸員にも任命された並河靖之の自宅兼工房が並河靖之七宝記念館。京都は東山、三条神宮道を一筋上った白川沿いに建つ虫籠窓、駒寄せ、一文字瓦を伝える明治時代の町家である。ここには靖之の作品130点余りを所蔵。並河家所蔵の七宝作品は世界の美術界でも貴重なコレクションでもあり、何よりも作...

粟田神社

粟田神社

スサノオノミコト・オオナムチノミコトを主祭神として祀り、厄除け・病除けの神と崇敬される。京都の東の出入口である粟田口に鎮座する為、古来東山道・東海道を行き来する人々は旅の安全を願い、また道中の無事を感謝して当社にお参りされ、いつしか旅立ち守護・旅行安全の神として知られるようになる。...

平安神宮大鳥居

平安神宮大鳥居

昭和天皇の大礼が京都で行われたのを記念して、昭和4(1929)年に竣工しました。鉄筋コンクリート造で高さは24.4m。設計は京都府技師の阪谷良之進で、施工は大林組。当時京都帝大教授だった建築家武田五一が顧問をつとめています。京都・岡崎のランドマークとして広く知られ、愛されています。   The Torii...

慶流橋

慶流橋

第四回内国勧業博覧会会場の正門の橋として、明治27(1894)年12月に竣工、翌年4月1日に開通した橋です。昭和38(1963)年に車輌通行に対応するため朱塗の鉄筋コンクリート製の橋に架け替えられました。「慶流橋」の名前は『続日本紀』の記述に因むもの。擬宝珠6本の内、両端の4本には銘文が刻まれています。  ...

金戒光明寺

金戒光明寺

浄土宗の大本山、承安5年法然上人が比叡山の黒谷を下り、草庵を結んだのが浄土宗最初の寺院のはじまりです。西山連峰、黒谷の西2キロの京都御所、西10キロの小倉山を望む山門、阿弥陀堂、本堂など18の塔頭寺院が建ち並びます。幕末期、京都守護職会津藩一千名の本陣になったことでも知られます。

 1234 

ページの先頭へ戻る