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白河南殿跡の碑と説明板

撮影:京都府立大学文学部歴史学科文化遺産デザイン研修

白河天皇は岡崎(当時は白河と呼ばれていた)に法勝寺を1077年に建立しました。そして、新たな政治の中心地となるべき御所、白河北殿・白河南殿を造りました(この白河南殿跡の碑と説明板が、今の夷川船溜のそばにあります)。白河上皇はこの御所で新しい政治「院政」を開始しました。院政の中心地となった岡崎や鳥羽には国中から人々や財が集まり、豪奢な建築物が次々と造営されていきました。しかし、孫の鳥羽天皇の死後、皇位をめぐり後白河天皇と崇徳上皇が対立し、保元の乱が起こります。崇徳上皇の陣となった白河北殿は、後白河天皇の軍によって焼失させられました。それは豪奢を極めた院政期の衰退と、武士の時代の台頭を感じる出来事です。

(記事・撮影:京都府立大学文学部歴史学科文化遺産デザイン研修)

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